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2017.02.10
【山粧う】
山が化粧をしたように
華やかになる季節。
額田王(ぬかたのおおきみ)は
秋は紅葉があるからこそ
その美しさは春に優ると詠みました。
若い瑞々しさを越えてからの
ハッと目を惹く艶やかさ鮮やかさ。
死ぬまでずっと
まだまだこれから、、って
そんな風に生きていきたいものですね。
【遠花火】
遠くに見える音のない花火。
夏の季語になっています。
どこか切なくなってしまうのは、
この言葉に
パッと華やかに咲いて
一瞬で散ってゆく夏の日を想い懐かしむ秋を
ふっ と感じてしまうからかもしれませんね。
「恋は遠い日の花火ではない」
なんて、昔
ウィスキーのCMのキャッチコピーがありましたね。
音もなく、
心の中に静かに大きく花ひらく夢。
その文字通り
人の夢はとても儚く
だからこそ尊くて愛おしい真夏の夜の夢。
【春隣】
この手に触れる事ができるほど、すぐそばに春が。
寒さですっかり凝り固まっていたこの身が、柔らかな風にゆっくりゆっくりと緩みだして
ついつい微笑んでしまう頃。
巣にこもりがちだった我が家の小鳥も徐々に歌いだし踊りだす。
こんなにもかわいらしい春がいとおしくて抱きしめたくなるけれど、きっと、、いや、絶対につぶして壊してしまうから、怖くて出来ない。。
そっと近づけば、懐かしい様なやわらかいお日様の匂いのする、そんな私の春隣。
【星祭】
七夕の別名。
共に暮らす幸福に心奪われ仕事をすっかり忘れて、天帝の怒りを買ってしまった牽牛と織姫は天の川の端と端に離されてしまいます。七月七日だけは天の川を渡ることが許されます。短冊に願いを込めてこの日はひたすら晴天を祈ります。雨が降っても、鵲(かささぎ)が拡げた翼を架け橋に、二人は逢う事ができる、、って聞いても、やっぱりきらめくふたつの星が見たくてひた願う。毎年この思いは変わらない。ほんの少しだけちくりとする胸の痛みも。小暑。梅雨明けはすぐそこに。
【雛飾る】
雛祭りは、旧暦三月上旬の巳の日に行われていた不浄を祓う中国の習慣がはじまり。
それが日本に渡って、ひとがたで穢れを祓う風習として伝わりました。やがて装飾的なものに変化し、上巳の節句と結びついた女児の祭りの主役となり今日の雛祭りになっていったそうです。中国では上巳の節句を「桃の節句」といいました。桃の実は生命を象徴するとともに邪気を退治すると信じられていたためだそう。なんて雅で、なんとも色っぽい邪気祓いですね。。
【年満月】
年末の慌ただしさはまさに師走といいますが、
その他十二月の異称のひとつに
年満月という言葉があります。
追われる様に一年を締めくくるのも一興。
きっと来年になってしまえば
思い返す事もないであろう今年が
満たされたものでありますように。
今年最後の時を
満ち足りた気持ちで過ごすことが出来ます様に。
【日脚伸ぶ】
日が昇ってから
沈むまでの昼の時間の事を日脚といい、
冬至が過ぎて日が長くなっていくのを日脚伸ぶ といいます。
永遠とも思える様な冬の冷たさに縮こまった身体が
徐々に徐々に、、ではありますが、
やっとこ春を信じられる頃です。
伸びてゆく日脚に
このまますがりついていきたい、、
まだまだ寒い冬の午後です。
【菖蒲打ち】
菖蒲で大地を打ち付けて大きな音を競うという昔の子供の遊び。
邪を払う植物として身を清めた菖蒲が尚武に通じる事から端午の節句が武士や男子の節句となったそうです。
菖蒲の花言葉は、色々あるけれどその中でも、勇気、情熱、心意気。この言葉を聞いただけでも、つい姿勢を正したくなります。
とはいえ、こちとら武士は武士でも、、食わねど高楊枝の方、、、余計なやせ我慢をどうにかしたい。。。。。