西陽の中に響く枯れ葉の音、鹿の親子が森に帰っていきます。
もったり黒い川の中に たゆたう光と影。
【山粧う】
山が化粧をしたように
華やかになる季節。
額田王(ぬかたのおおきみ)は
秋は紅葉があるからこそ
その美しさは春に優ると詠みました。
若い瑞々しさを越えてからの
ハッと目を惹く艶やかさ鮮やかさ。
死ぬまでずっと
まだまだこれから、、って
そんな風に生きていきたいものですね。
【遠花火】
遠くに見える音のない花火。
夏の季語になっています。
どこか切なくなってしまうのは、
この言葉に
パッと華やかに咲いて
一瞬で散ってゆく夏の日を想い懐かしむ秋を
ふっ と感じてしまうからかもしれませんね。
「恋は遠い日の花火ではない」
なんて、昔
ウィスキーのCMのキャッチコピーがありましたね。
音もなく、
心の中に静かに大きく花ひらく夢。
その文字通り
人の夢はとても儚く
だからこそ尊くて愛おしい真夏の夜の夢。
【春隣】
この手に触れる事ができるほど、すぐそばに春が。
寒さですっかり凝り固まっていたこの身が、柔らかな風にゆっくりゆっくりと緩みだして
ついつい微笑んでしまう頃。
巣にこもりがちだった我が家の小鳥も徐々に歌いだし踊りだす。
こんなにもかわいらしい春がいとおしくて抱きしめたくなるけれど、きっと、、いや、絶対につぶして壊してしまうから、怖くて出来ない。。
そっと近づけば、懐かしい様なやわらかいお日様の匂いのする、そんな私の春隣。
【星祭】
七夕の別名。
共に暮らす幸福に心奪われ仕事をすっかり忘れて、天帝の怒りを買ってしまった牽牛と織姫は天の川の端と端に離されてしまいます。七月七日だけは天の川を渡ることが許されます。短冊に願いを込めてこの日はひたすら晴天を祈ります。雨が降っても、鵲(かささぎ)が拡げた翼を架け橋に、二人は逢う事ができる、、って聞いても、やっぱりきらめくふたつの星が見たくてひた願う。毎年この思いは変わらない。ほんの少しだけちくりとする胸の痛みも。小暑。梅雨明けはすぐそこに。
【雛飾る】
雛祭りは、旧暦三月上旬の巳の日に行われていた不浄を祓う中国の習慣がはじまり。
それが日本に渡って、ひとがたで穢れを祓う風習として伝わりました。やがて装飾的なものに変化し、上巳の節句と結びついた女児の祭りの主役となり今日の雛祭りになっていったそうです。中国では上巳の節句を「桃の節句」といいました。桃の実は生命を象徴するとともに邪気を退治すると信じられていたためだそう。なんて雅で、なんとも色っぽい邪気祓いですね。。
【年満月】
年末の慌ただしさはまさに師走といいますが、
その他十二月の異称のひとつに
年満月という言葉があります。
追われる様に一年を締めくくるのも一興。
きっと来年になってしまえば
思い返す事もないであろう今年が
満たされたものでありますように。
今年最後の時を
満ち足りた気持ちで過ごすことが出来ます様に。
【日脚伸ぶ】
日が昇ってから
沈むまでの昼の時間の事を日脚といい、
冬至が過ぎて日が長くなっていくのを日脚伸ぶ といいます。
永遠とも思える様な冬の冷たさに縮こまった身体が
徐々に徐々に、、ではありますが、
やっとこ春を信じられる頃です。
伸びてゆく日脚に
このまますがりついていきたい、、
まだまだ寒い冬の午後です。
【菖蒲打ち】
菖蒲で大地を打ち付けて大きな音を競うという昔の子供の遊び。
邪を払う植物として身を清めた菖蒲が尚武に通じる事から端午の節句が武士や男子の節句となったそうです。
菖蒲の花言葉は、色々あるけれどその中でも、勇気、情熱、心意気。この言葉を聞いただけでも、つい姿勢を正したくなります。
とはいえ、こちとら武士は武士でも、、食わねど高楊枝の方、、、余計なやせ我慢をどうにかしたい。。。。。
【蝉時雨】
ザーッと強く降ってはやむ時雨の様に、蝉がいっせいに鳴きしきる様子。
その短い生を謳歌しているようでもあり、まさに今しかない切羽詰まった猛々しさが物悲しくもあります。短い夏は蝉そのもの。もしかしたら、人生そのものなのかもしれません。
しかしながら、こんなにも風情な蝉時雨も、単体で、しかもコンクリートの上で転がっているのが突然起き出して目の前で鳴き出し暴れだされた時の驚きときたら、、、、あの存在感は、儚いっていうのとは、あまりにも真逆です。。。
【半夏生】
七月二日頃。雑節の一つで、夏至から数えて十一日目。農家にとって田植えを終える目安になる日。川端に群生する半夏生が生える時期です。穂の様な花が咲く頃、葉の半分だけ白くなるから半化粧。この時期までに田植えが終わっていないと「半夏半作」といって、平年の半分の収穫で終わるという言い伝えがあるそうです。夏直前に自然から戒められているようで、身が引き締まり教えられます。何事もきっと、ずっとこうして自然と交わす約束の繰り返しなのかもしれませんね。
さて、、、まずは、このキリギリス的体質改善から、なんとかしていこうか。。。
【傘かしげ】
傘をさしながら狭い道を歩いているとき、
人と人がすれ違う際、互いの傘のしずくでぬれないように、傘を相手の反対側に少しかしげるしぐさのこと。
江戸仕草の真偽のほどは
この際、高ーい棚の
扉の奥深ーくに置いといて、、
とても素敵で
美しい心の立ち振る舞いだと
私は思っています。
雨の日だけではなく
いつも心に傘かしげ。
ほんの少しでも
目の前の人を思いやる事の出来る心のゆとり。
忘れたくないですね。
【恵比寿講】十月二十日
神無月。
日本国中の神様が
出雲へ出払ってしまった留守を守るこの神に
商売繁盛を願う行事です。
穏やかで太っ腹な台所の神様と
秋を味わい、
一杯交えながらの夜長を
ゆるりと愉しみたいものです。。
【神輿振り】
祭礼のとき、担いだ神輿を威勢よく振り動かすこと。祭りの「まつる」とは古くはお供えをするという意味があったそうです。神輿は神様の乗り物。それを担いで巡ることで地域全体に神様の力をゆき渡らせると考えられていたようです。祭り囃子とか威勢よいかけ声はそれだけで聞く者も見る者も元気にさせる力がありますね。♪ピ〜ヒャラピ〜ヒャラ♪テンツクテンツク!なんだか、ひばりお嬢の『お祭りマンボ』が聴きたくなれました。。我ながら、とっても単純。が、それが祭りさ!神輿振り!あしたのパワーの源だ!
くれぐれも、一時の愉しみに興じ過ぎて大事な明日を見失い、後の祭り、、、なんて事にならないようにご注意を。。。
【松迎え】
十二月十三日
門松などの正月に使う松をとりに行く行事。来年の年男が恵方の山でとるそうです。この日から正月事始めとなります。門松は、元々は年神を家に迎える道しるべの意味をもつそう。年々正月準備がどんどん簡略化されつつありましたが、年々齢をとるに従って今一度その意味を見直してみたくなりますね。せめて、年神様が道に迷われない様に門松を。気持ちよくお迎え出来ます様に、これ渾身!の煤払い。目に映りながらも普段ついつい忘れてしまうものたちへ、そして心の中に在るこの目には決して映らないものたちへ、感謝を込めて。
【桜南風】
桜吹く四月頃に吹く南風。
頬をかすめる淡い風が
もうコートはいらないよ、と
春に誘い出されているようで
この風につい、
ひとひら軽くなった我が身を預けてしまいたくなります。
春色のルージュをひとつ差すのも
忘れずに、、
【案山子揚げ】
十一月中旬から下旬
初亥の日に西日本で行われる「亥の子祭り」同様の収穫祭で、『十日夜(とおかんや)』と呼ばれる東日本の行事の別名。旧暦十月十日に行われ、田の神様を象徴する案山子を祀り、新米でついた餅などのお供えをするそうです。案山子は「臭し(かがし)」からきていて、獣肉などの強い匂いをつけたものを田畑に立て、獣や鳥を追い払うものでした。今や案山子の形も様変わりしていっているようですが、やはりカカシといってすぐに頭に浮かぶのは蓑や笠をかぶった へのへのもへじ。まさに雨にも負けず、風にも負けず田んぼを守っている姿は頼もしくあり、少々斜めで不格好な出で立ちがいとおしくもなりますね。そして食べ物への有難みや感謝を改めて思います。そうしていただくお米の味は、美味しさもひとしおです!